「お盆と言えば…」なアレのお話
世間はすっかり夏休み、お盆ですね。
私はここ十数年来、お盆にお墓参りをしていない不信心者ですが、
みなさんはきちんと先祖を出迎えてあげてくださいね。
さて、お盆と言えば、おなじみなのが、
キュウリやナスに箸を突き刺して作る動物たち。
アレにもきちんと名前と意味が備わっています。
正式な名称は「精霊馬(しょうりょううま)」といい、
キュウリは足の速い馬、ナスは歩みの遅い牛に見立てられています。
故人の送り迎えをするために、あの世から早く帰ってきてほしいので、
行きは馬に乗って、帰りは少しでも遅くなるように牛に乗って帰ってください、
という願いが込められているそうです。
ということは、必ずセットで揃えるのがよろしいわけですね。
お盆を実家で迎える際には、必ず実行したいと思います…。
欧米が驚愕した天皇陛下と日本人
日本の天皇家は、2600年間「途切れていない」世界最古の王朝です。
(※異論はあります)
天皇陛下は世界でも最大級の敬意をもって接せられる人物ですが、
今日は激動の時代を生きられた、昭和天皇の逸話を見つけましたので、
それをみなさんにもご紹介したいと思います。
以下、コピペです。
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『ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだから、
旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
彼が40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。
神さまじゃなくて人間だ、ということをね。
それが生きた民主主義の教育というものだ』
昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸(ごじゅんこう)を始められたとき、
占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。
しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。
昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。
行程は3万3千キロ、総日数165日。
各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。
『日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、
天皇の声望はほとんど衰えていない。
各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。
何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている』
イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、
長男が即位したが、わずか1か月で廃位に追い込まれた。
それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか。
欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。
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『ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、
イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。
殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、
焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、
無防備のままで巡っておられる。
平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、
厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。
それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、
焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。
何という命知らずの大胆なやり方であろうか。
いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、
これはどこにも見られないことである。
われわれは改めて、日本を見直し、
日本人を尊敬しなければならないと思っている』
落合博満伝説・その3~苦手なコースをホームラン~
落合氏は特に内角の球を打つことにかけて芸術的と評されていますが、
アウトコースの球を払うように流してライトに長打を放つ、
という打撃も良く見せていました。
ところが、「俺ほど外の球を打つのが下手な奴はいない」と、実は大の苦手。
アウトコースは長打の危険があるならば、
当然相手はインコースを攻めてこざるを得ず、それこそ彼の得意コース。
アウトコースのホームランを意識させることで、
既に己の土俵に引きずり込んでいたわけです。
こういう駆け引きには彼は非常に長けていて、
横浜の絶対的守護神、佐々木主浩大魔神に対してもめっぽう強く、
「低めのフォークは捨てて真っ直ぐを待てばいい」と言い放ち、
実際に打率.444、4ホーマーと打ちこんでいます。
佐々木氏の実働10年間でサヨナラホームランを打ったのは落合氏だけです。
当時、「分かっていても打てない」とまで言われていたのが、
大魔神のストレートとフォークだったのですが、
落合氏にかかっては、狙い通りのコースなら簡単に打てていた模様です。
落合博満伝説・その2~遅咲きの天才~
天才打者の名をほしいままにし、輝かしい成績を残した落合氏ですが、
そのプロ入りは意外なほどに遅く、25歳のとき。
もともと野球少年ではあったけれど、体育会系のノリがとことん合わなかった彼は、
高校時代にも7度も入退部を繰り返しています。
彼ほどの実力のある選手が他にいなかったため、
何度退部しても試合が近づくと部員に説得されて復帰していました。
大学時代にもやはり体育会系のノリに反発。
このときは半年ほどで野球部も大学も辞めてしまい、
地元でプロボウラーを目指すことにしました。
ところが、プロテスト当日にスピード違反で反則金を支払い、
受験料が払えなくなってしまったため、これも諦めます。
その後、彼の野球の才能を惜しむ高校時代の恩師の勧めもあり、
社会人チームに在籍します。5年間で約70本のホームランを放ち、
1978年にはアマチュア野球の全日本代表にも選出され、
ようやくプロからも注目される存在となったのでした。
もし、ボウリングのプロテスト時にスピード違反をしなかったら…。
落合博満伝説・その1~凄すぎるバットコントロール術~
今日は、史上最高の右打者と評され、中日監督としても最高の成績を収めた、
天才・落合博満氏の現役時代のエピソードをご紹介します。
ロッテで2年連続の三冠王に輝いた翌年、中日にトレードで移籍しました。
当時は打撃練習場は体育館の周囲と天井にネットを張り巡らせた急造のものでした。
当然、練習しているとボールがネットに乗り、重さで垂れ下がってくるので、
ボールを投げて落とそうとするが、なかなか上手くいかない。
落合氏は「オレが落とすよ」と言い放ち、打球をネットに次々と当てはじめ、
乗ったボールを次々と落とし始めました。
このエピソードについて、セ・リーグの審判部長を務めた田中俊幸さんも
「まるで魔法のようなバットコントロールで、
曲芸かマジックを見ているようだった」と述懐しています。
また、彼は「ゆるい球を自由に打ち返せれば調整はOK」としています。
ナゴヤ球場での打撃練習中のこと、審判が近づいてきたので、
彼は「10本打って何本スタンドに入ると思う?」と聞くと、
その審判は「せいぜい4、5本」と答えました。
緩い球は全力で打ってもなかなか飛距離が出ないものなのです。
すると彼は「8本だ」と言い放ち打ち始めました。
打球はきれいな弧を描き、スタンドに次々に吸い込まれていきます。
結果的に2本がフェンス前に落ち、8本がスタンドイン。
その審判も「信じられない光景であった」と述べています。
立直は偉大な発明?
みなさん、麻雀うってますか?
セガのMJ5(ネットワーク麻雀ゲーム)がPC版、iアプリ版に対応するらしく、
今からうっきうきの私です。
さて、麻雀発祥の地といえば中国。
でも、現在日本で遊ばれている麻雀と本場中国麻雀ではルールがまったく違います。
日本の麻雀は、日本人の感性に合わせるためにゲーム性をアレンジしたものですが、
その中でも最大の発明は立直(リーチ)だと思われます。
(ただし、立直の起源は中国の東北地方にあるという説もあります)
メリットとしては、立直だけで1翻の役、
1発、裏ドラなど点数上乗せのチャンスが増える、
他家の打牌を制限させる、などでしょうか。
デメリットしては、聴牌の周知することで出上がりしにくくなる、
-1000点の供託、上り牌以外はすべてツモ切りになる、
というところですね。
以上のように、メリットもデメリットもあるので、
このことが麻雀というゲームにより深みを与える結果になっています。
立直宣言に対しては当たり牌を切らないようにするため、
捨て牌読みの要素が発達しました。また立直を掛ける側も、
それを逆手に取って、立直を掛けた方が上がりやすい聴牌を組むこともあります。
これは振り聴の概念がない中国麻雀にはない要素で、
このあたりの細やかさは、やはり日本人ならではだなぁ、と感じます。
世界の激臭レシピ♡ その3・シュールストレミング
さぁ、お待たせいたしました。
名前は知らなくてもその存在は多くの人が知っている、
スウェーデンの発酵食品、シュールストレミングの登場です。
「シュール」は酸っぱい、「ストレミング」はニシンで、
酸っぱいニシンってことですね。
1,2か月塩漬けして発酵中のニシンをそのまま缶詰にするため、
缶の中でも発酵が継続、発生するガスで缶がパンパンに膨れあがります。
缶詰の解禁日は8月の第3木曜日とされておりますが、
気温が高すぎると中身がドロドロに溶けていることもありますので、
注意が必要です。
先ほども述べましたが、ガスで膨れております上に、
とんでもない臭気を伴いますので、
開封作業は慎重に。屋外で開けるのが望ましいです。
缶を50度ほどに立て、ガスを抜きながら缶きりで開けていきます。
とても塩辛いので、そのままでは食さず、大量の付け合せとともにいただきます。
屋内で食べると臭気が染みてしまいますので、屋外で食べることが多いです。
缶詰自体がガスで充満した危険物なので、日本への輸入は限定的。
もし食べる機会に恵まれたなら、世界一の臭気をぜひご堪能あれ!